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川上通信分室

川上区公式ブログ「川上通信」
道端の草花から宝尾遺跡まで
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2009年05月07日 21:04




大昔、佐分利谷最奥のこの地を終の住み処と見いだし、居を構えた我々の祖先はどんな人々だったのだろう。手掛かりや伝承などがあるでなし、これまで漠然としたイメージすら持てなかったのですが、資料を眺めていたら新鞍神社のルーツについて面白い仮説がありました。


指定村社新鞍神社は、「若狭國神階記」に式外正五位賊椋(トクラ)明神と見える御社であり、大飯郡内二十ヶ社中の一社である。社記によれば往古には人身御供の習わしがあり、後にいたり陰暦正月十三日の夜半、人の寝静まる丑満時に神酒を献する習わしに代わっており、深更神酒奉献の神事はいまに続けられている。境内四〇二坪、氏子は一百八件、例祭は九月十日である。
案ずるに敦賀郡東浦村阿曽の式台社阿蘇村利椋神社(トクラノカミヤシロ)との、つながりをもつものではなかろうか。内外海村犬熊の指定村社得良(トクラ)神社も同訓であり、越前の東浦人らが渡海して若狭へ定住した集落なのであろう。得良神社に関しては社記に宝治元年丁未(1247)五月利椋明神を勧請した由が記されているから川上賊椋神社と同ケースと考えられる。
新鞍神社は新利椋神社とも解せられるものがあり境内社としては次の御社がある。

(1)祭神 火之夜芸速男神 愛宕神社
(2)祭神 豊受姫命 稲荷神社
(3)祭神 大山祗尊 山神神社
(4)祭神 誉田別尊 八幡神社(字三森鎮座)


(若越郷土研究 第三十六〜四十巻:杉本壽 大飯郡旧佐分利村 宝尾・大田和・上津より)
 

 
杉本氏よると、内外海の犬熊にある得良(徳良)神社がそうであるように、阿曽の利椋神社をこの地に勧請したのが新鞍神社の始まりなのではないか、というのです。
新鞍神社には賊椋、盗掠、棟梁、阿多倉などの字を当てた古い記録があり、明治になって「新鞍」に一定されたと以前書きましたが、賊椋、盗掠は確かにそのまま「トクラ」と読めます。
「利椋」が「新利椋(アトクラ・アタクラ)」の意で「阿多倉・新鞍(アタクラ)」になった…、ううむ、なるほどなあ。

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